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作務衣プロジェクト

サンパトン村の縫製工場

 

タイ北部最大の都市であるチェンマイから1時間ほど南に向かったところに、サンパトンという村があります。農業を主体としたのんびりムードが漂う村ですが、季節になるとさまざまな果物がたわわに実り、ライチ―に似た「龍眼」の収穫時期(7月)には、村人が総出で働く姿が見られます。
村の中にはいくつかの寺があり、中でも最も大きな寺がホーリン寺といいます。ホーリン寺はタイ仏教(上座部仏教)の修行と学問の場になっていて、5歳の小坊主さんから80歳を超えた老僧まで、たくさんのお坊さんが修行の毎日を送っています。また、タイの田舎の寺は、お坊さんだけのものではなく地域の人々が集まる場ともなっていて、ホーリン寺の前には常設の市場がたち、人の行き来が途絶えることはありません。この寺の一角に、「アクセス21」が協働する作務衣縫製の作業場が設置されています。
工業用のミシンが10台あるだけの小さな作業場ですが、この場所が持つ意味は大きいです。まず、作業を行っている人々の多くがHIVに感染した女性であるということ。そしてもうひとつはこの寺の住職、タナワット師が積極的に彼女達を応援しているということです。
タイ北部はHIVの罹患率が極めて高く、サンパトン村はこの現状を映し出す典型的な地域となっているのです。その原因の多くは公娼制度に近い売春にあるといわれています。売春が野放しにされ、街道沿いにある売春宿へ出入りする男性たちには、それほどの罪悪感がないと聞きます。そしてそこから必然的に配偶者への二次感染が起こることになります。
アクセス21はまず、感染した女性たちの聞き取りを行い、この地が持つ問題点を拾い出していきました。その結果、次のことが判ってきました。

  1. 感染者のほとんどが生産年齢層(10代から50歳代)。
  2. 感染すると社会から差別され排除される傾向にあること。
  3. 感染後徐々に体力が衰え、それにより定収入を得る仕事に就けないこと。
  4. 感染した親から生まれる子どもの約30%が感染すること。
  5. 治療薬が手に入りにくいこと。
  6. 親の死後、残されたこどもたちが孤児になり、教育を受けられない場合があること。
  7. 感染した女性たちが自立の道を探している事。
などです。これらは、HIV/エイズが持つ特徴的で深刻な問題を提示しています。タイ社会は売春に寛容な姿勢を持ちながらも、そこから感染した人々を差別し排除する側面を持ち、それゆえに感染者の生活を支えるべき領域を閉ざし、窮乏に追い込んでいくことになってしまうのです。
しかしそういったネガティブな要素だけがあるのではなく、この状況を改善しようとする現地の人々の動きも始まっています。たとえばタイ上座部仏教の僧侶たちが自分たちの地域の問題に真正面から取り組んでいこうとする意欲が見られてきたことが挙げられます。上座部仏教は基本的に、僧侶自身の修行成就のため俗世間から離れ、社会に何が起きようと自分の修行と関係を持つことはありませんでした。しかし急激なタイ社会の変化に伴ってさまざまな問題が派生し、それがいのちに直結する問題に発展していったとき、タイ社会で最も信頼が置かれている僧侶がそれを黙殺できなくなったというわけです。
修行を重視しながら社会に関わる僧たちは「開発僧」と呼ばれています。近年開発僧が増え、そして活躍の場が広がっている事実があります。開発僧が関わる領域は、農村開発、教育開発、医療開発などとともに、文化の伝承、そして仏教による霊的なケアや癒しなどに展開され、タイ社会が抱える問題の解決に大きな役割を占めるようになってきています。ホーリン寺の住職タナワット師はその典型です。また、海外からの支援に頼るだけでなく、タイ国内のNGOもこれらの問題に積極性を見せていることも有利な条件となります。
こういった状況を細かく分析しながら、それら切迫した問題に対処する方法をアクセス21スタッフたちは考え、次のような結論を導き出しました。それはまずHIV感染者の自立を促すために、しっかりした経済基盤を整える支援をすること、そして子どもたちに社会的な目を開いてもらうための教育支援が必要である、というものでした。そこで具体的に浮かび上がってきた素材が「作務衣」でした。

  • MOVIE『いのちをつなぐ
        ~北タイ作務衣物語~』
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