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フェアトレード(作務衣のご案内)

作務衣を縫う

縫う~自助グループ「プラサンジャイ」

チェンマイ県にあるホーリン村。この村の女性たちによって、布は作務衣に仕上げられていきます。

ホーリン村
ロンピーデン住職

ホーリン村の中核を成すホーリン寺の住職、ロンピーデン師との出会いによって、アクセス21の支援活動は始まりました。

夫をエイズで亡くし、自らもHIV感染者だと知ったソムヤーさんは、激しい差別の中、1995年、同じ問題を抱える村の女性たち5人で、自助グループ「プラサンジャイ」を立ち上げます。そして、社会活動に熱心なロンビーラン師に相談、そこから、女性たちの小さな縫製作業所が始まります。

プラサンジャイ代表のソムヤーさん
●女性自助グループ「プラサンジャイ」
 が運営する縫製工場作務衣縫製工場

カレン族の女性たちによって織られた布は、ホーリン村にある自助グループ、「プラサンジャイ」の女性たちに手渡されて、作務衣に仕上げられていきます。

1998年、アクセス21がプラサンジャイに出会ったとき、女性たちの表情は曇りがちでした。当時製品は売れず、ミシンを買うお金も不足していたのです。

ホーリン寺内にあった「プラサンジャイ」の旧縫製作業所
●代表の高橋と「プラサンジャイ」代表の高橋とプラサンジャイ

アクセス21は先ずミシンを提供し、縫製の指導者を招聘しました。女性たちは必死で縫製技術を学びました。代表の高橋卓志は、納得のいく作務衣が出来るまで辛抱強く、ホーリン寺へ足を運びました。

ソムヤーさんは言います。
村のHIV感染者も主婦も、今では収入を得て家族を養えるようになりました。ただ、最初は仕事に就くことが難しく、生活が苦しかったんです。それが「アクセス21」と仕事を始めて自活への道が開かれていきました。今では、私たちも精神的に随分落ち着いてきました。そして子どもたちも、次第に地域に溶け込んでいくことができたんです。

プラサンジャイ代表のソムヤーさん
●2005年10月5日に完成したプラサンジャイ
 縫製工場完成したプラサンジャイ縫製工場

2004年7月、HIVの国際会議がバンコクで開かれました。当時、プラサンジャイに会議の主催団体から2万枚のカバンの注文が入り、300万円相当を売り上げます。
その資金で、ソムヤーさんたちは新しい縫製工場を建設、開設式には村中の人々がお祝いに集まりました。
プラサンジャイは、10年を経て村の共同体の重要メンバーとして受け入れられていったのです。

プラサンジャイは現在およそ40人。HIV感染者だけでなく、経済的自立を求める女性たちのグループに成長しました。
彼女たちは、利益を村に還元するため村人への支援も始めています。

この日は、エイズで亡くなった仲間の遺族訪問に向かいました。プラサンジャイが発足した翌年の1996年、ホーリン村のある行政区では、人口の143人に1人がHIV感染者でピークを迎えていました。プラサンジャイも、30人以上のメンバーをエイズで亡くしています。その後、HIV教育の成果もあり、現在感染者数は激減、それでも、プラサンジャイの中心メンバーたちは毎月、生活用品や支援金を持って遺族や老人たちを訪問します。

●支援金を渡すプラサンジャイメンバー支援金を渡すプラサンジャイメンバーたち
●奨学金の相談をする「プラサンジャイ」
 のメンバーの子どもたち奨学金の相談をする「プラサンジャイ」のメンバーの子どもたち

また、次の世代を支援するために、アクセス21は「プラサンジャイ」の協力のもと、2008年から奨学金制度も始めました。


ロンビーラン師はいいます。
「アクセス21」と出会って「プラサンジャイ」は仕事に自信を持てるようになりました。そして縫製の専門知識や技術も向上できるようになったんです。さらに「プラサンジャイ」のメンバーは、自活することだけでなく、村の人々と助け合うことの大切さを学んだのです。



●「プラサンジャイ」の縫製風景●
●裁断する①裁断① ●裁断する②裁断する②
●縫製作業~全体~縫製作業~全体~ ●縫製作業~アップ~縫製作業~アップ~
●アイロン掛け~パッキングへアイロン掛け~パッキングへ●「プラサンジャイ」メンバーと支援者「プラサンジャイ」メンバーと支援者たち
  • MOVIE『いのちをつなぐ
        ~北タイ作務衣物語~』
    • ※上記画像をクリックすると、作務衣プロジェクトの取り組みをご紹介した動画が始まります。
        ※音声が出ますのでご注意下さい。